価値あるものは自分の中に
ココナラにサービスを出品しているんですが、そのサービスが初めて売れてドキドキしました。
「購入されました」の通知が来た時は、信じられずにあたふたしてしまいましたが、どうにかこうにかこなせました。
私が出品しているのは、電話相談のサービスなので、見ず知らずの人と電話でお話しします。少しでも購入した人の役に立てていればなぁと思います。
最初にココナラで出品していたサービスは、今後私がやってみたいなぁと思っている分野でした。勉強・実績作りのためという感じですね。
しかしこれが全く売れない!かすりもしない。
まぁそれこそプロがいるわけで、誰だってそちらの方に頼むわけです。
値段を安くしてもあまり意味はありません。
「う〜ん困った」と思いました。
そこで、自分が人に提供できる価値ってなんだろう?と改めて考えると、やっぱり自分の経験をベースにしたものになります。
その分野であれば、それなりのことを語れる自信がある、という分野を自分の中から探しました。そして、今回のサービス出品につながります。
案外、自分の経験の価値って気づけないものです。
自分の中に当たり前にあるものですから。
そんな自分の経験を買ってくれる人がいることが知れて、本当によかったです。
あまり今までの自分のキャリアに自信が持てていなかったですが、少し自信が持てるようになりました。
いずれは、やってみたい分野にも進出したいですが、ひとまずはこの電話相談を続けて行こうと思っています。
翻訳の味
コツコツとM・エンデの作品を読んでいます。
『自由の牢獄』を読み終わり、さぁ次の本だと思って『鏡の中の鏡ー迷宮ー』を読み始めました。
この『鏡の中の鏡ー迷宮ー』を読み始めて、いきなり違和感が。
この本の最初のお話は、無限に広い宮殿のような建物に1人で住んでいる男の子の話です。
この主人公の一人称が「わたし」になっていて、「あれっ」と違和感。
以前読んだ単行本では「ぼく」だったはず。
さらに名前が「ホア」になっていて、確か主人公の名前は「ホル」だったような。
というわけで、ちょっと調べてみました。
私が以前読んだのは、1985年に岩波書店から発売された単行本で、翻訳者は丘沢 静也さん。
今回読んだ本は、2019年に同じく岩波書店から発売された、M・エンデ生誕90年記念版で、翻訳者は田村 都志夫さんでした。
翻訳が変わるとだいぶ味が変わるなぁと感じます。
本文中では具体的に主人公の年齢が明かされたり、示唆されたりすることはないので、主人公をいくつぐらいと思って読むかは読み手次第です。
私は、最初に1985年版を読んだ時、「ホル」はまだ小学校低学年くらいと思って読んでいました。
そんな小さな子が、大きな建物の中でずっと1人なのは寂しいだろうなぁと思っていたわけです。
ところが、一人称が「わたし」になると、ぐっと年齢が上がるように感じます。
「ホア」は中学校手前くらいのイメージです。
まぁ「だから読めない!」というわけではなくて、ちょっと雰囲気が変わるなぁくらいです。
今回は読者の想定年齢が少し上なのかもしれません。
この辺は原文を読むと、細かいニュアンスが伝わるんでしょうけど、ドイツ語なんて読めないので。
なので、翻訳をしてくれる人には感謝しかありません。
そして、言葉がわかるだけでは翻訳はできないということもよくわかります。
今回のM・エンデ生誕90年記念版の方も楽しく読んでいます。
翼のある青年の話は、今回読んでもやっぱり面白かったです。
睡眠が最強のソリューションである
今週のお題「やる気が出ないときの◯◯」
やる気が出ない時は、あえて寝る!
ことを私はやっています。
寝ると頭のモヤモヤもスッキリして、体の疲れも取れて一石二鳥です。
これは寝ることの一番のメリット。
そして、寝ると当然寝たぶん時間もなくなるわけです。
何か締め切りに追われている時に、やる気が出ない!
だが、あえて寝る。
自らの時間をあえて削っていく・・・
これが寝ることの隠れたメリット。
いわゆる「締め切り効果」というやつです。
締め切りはあると大変だけど、ないと良い仕事はやっぱりできない。
特に、私は楽な方に流されてしまうので。
なので、あえて締め切りを近づける!
これで腹を括ることができるのです。
イメージとしては、ところてんが圧力でニュルンと押し出されるイメージです。
すると頭の中からナイスアイディアが・・・
出るわけではありません。
こればっかりは能力以上のものは出せません。
しかし、なんとか自分の考えをつないでいこうという心の動きにはなってきます。
細い細い線をなんとか形にするために、言葉を考えていきます。
そうこう悪戦苦闘していると、あら不思議、なんとか形になっています。
というか、それを出すしかない状況に置かれます。
だが、それでいい・・・
やる気が出ないでダラダラしているのに比べたら、はるかにマシです。
これからもやる気が出ない時は、素直に寝ようと思います。
献血ルームで孤独に死を感じた話
お題「これまで生きてきて「死ぬかと思った」瞬間はありますか?身体的なものでも精神的なものでも」
そんなことあったかなぁと考えました。
子どもの頃に、坂道を転げ落ちて頭蓋骨を骨折したことがありました。
その時の記憶は今でもしっかり残っていますが、まだ小さかったから「死ぬかも・・・」みたいな感覚にはならなかったです。
近くにいた父親は「死んだかも」と思ったかもしれないですが。
て感じで大きくなって生命の危機を感じたこと・・・と記憶を辿っていくとありました。
そんなに前ではないです。4年前かな。
初めて献血に行った時それは起こりました。
詳しいことはもう忘れましたが、なぜか友人たちと献血に行こうという話になり、福岡市内の献血ルームに行きました。
いろいろ手続きをして、さぁ献血だと思ったのですが、確か朝食を食べてないとかで、私は成分献血になりました。
献血に2種類あるなんて知りませんでした。
「まぁまぁしょうがないか」と思って献血をするスペースへ。
リクライニングシートが何台もあって、美容室みたい。おしゃれです。
その日は半分くらい埋まってました。
そのうちの一台に座って、腕に献血のための針を刺すと、シートの後ろにある仰々しい機械が動き出しいよいよ採血開始です。
初めての献血だったので、ワクワクしてたのですが、採血をし始めた途端に違和感が・・・
ホントに体の中から何かを抜かれている感覚。血を抜かれているので当たり前なのですが。
その違和感だけで、不安と恐怖を感じてしまいました。
時間が経つごとにその不安感と恐怖感は増していきます。
でも献血ってこんなものなのかなぁと我慢をしていましたが、だんだん気分も悪くなってきます。「あぁ、もしかしてやばいかも」とこの辺から思いはじめ、「死ぬかも」と脳裏をよぎります。
そうなると、「彼女に送った最後のLINEがめちゃくちゃくだらない内容だったなぁ」みたいなことを考えます。「もうちょっとマシな内容にしておけばよかった・・・」と後悔。
そんなことを考えていると、流石に様子が変だったようで、献血ルームのスタッフさんたちが集まってきました。体がきついことを伝えると、「まぁ半分くらい取れてるからいいんじゃない」と何事もないような気楽な対応。まぁそうですよね。
そこで献血は中止されました。
リクライニングシートの足側をガバッとあげて、頭を下にされると気分がだんだん元に戻ってきます。そして汗がどんどん出てくる。「あ〜血が体を巡っている」と実感します。
この汗って体の反応らしいですね。この時ほど血液の流れを感じたことはありません。
まさに人間は血液の入った袋なのですね。
初めての献血は苦い思い出になりました。それ以来献血にも行ってません。
でも献血ってとても意義深さを感じてはいるのです。
コロナ禍で輸血用の血液が足りないそうなので、今度はちゃんと体調を整えて行ってみたいと思います。
11月はエンデの月
11月はM・エンデを読む月に。
きっかけはKindle Unlimitedに『モモ』が入っていたから。
『モモ』を読んでいたら、他のエンデ作品も読みたくなって、図書館に行ってきました。
借りたのは『鏡の中の鏡ー迷宮ー』と『自由の牢獄』
2冊とも家にあったけど処分してしまったので、改めて読み直すために借りました。
なぜ家にこの2冊があったのかはいまだに謎です。
改めて、面白い。
『モモ』はもちろんなんですが、特におすすめしたいのが『鏡の中の鏡ー迷宮ー』と『自由の牢獄』の2冊。
図書館では児童文学の書架においてあったんですが、いやいや大人にならないと、この本の面白さはわからない気がします。
『鏡の中の鏡ー迷宮ー』は、とてもシュールな短編集。
各話の最後の場面が、次の話のモチーフになるという構成になっています。
そして、最終話の最後が最初の話の冒頭に戻ってくるという仕掛けで、ぐるぐると無限に続く合わせ鏡のようになっているのです。
個人的には、翼にいろいろなものが絡みついて飛べなくなってしまう青年の話が好き。
『自由の牢獄』は『鏡の中の鏡ー迷宮ー』に比べるとストーリーは分かりやすい。「遠い旅路の目的地」は特に好きな話。
男の涙に女は弱いということをこの話で知りました。
それ以来、積極的に泣いています。
エンデの作品は、けっこう経済・お金のお話も出てきます。しかも、あまり良いものとしては出てきません。
『モモ』の悪役である灰色の男たちも、うさん臭い銀行マンのようないでたちで出てきますし、『鏡の中の鏡ー迷宮ー』には、お金をどんどん吐き出す機械でできた駅が、最終的に爆発する話があったり。
モモの友達であるジジのおとぎ話では、「大きすぎて手に負えなくなる」という話が出てきます。これは金利の比喩かなぁと今回読んでて思いました。
『エンデ遺言』というNHKの番組を元にした本があって、S・ゲゼルの地域通貨やR・シュタイナーの減価する貨幣などが暴走する経済の歯止めとして紹介されています。
で、エンデは少年時代、シュタイナー教育の学校で学んでいるのですね。退学していますが。
今回は、そんなお金のことも考えながらエンデ作品も読んだのでした。
ところで、実は『はてしない物語』は読んだことがないので、今月中に読みたいなぁと思っています。
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癒しのパン作り
ストレスへの対処法って人によっていろいろあるかと思います。
私は、ストレスを感じた時にパンをよく作るようになりました。
なので、ストレス対策としてのパン作りを語りたい。
料理は芸術と同じく自己表現だと思っています。
ですから、「男女問わず(簡単なものでもいいから)料理をするべき!面白いから」、と私は声を大にして言いたいです。
そして自己表現というのは癒しなのです。
その料理の中でも、特にパンを作るのは本当に癒されます。
なぜパン作りは癒されるのか?
主に3つ理由があると思います。
①手でこねる
②生地が成長する
③美味しい
まずは①手でこねること。
料理は手作業な部分が多いですが、包丁であったり、火であったりいろいろ道具を使います。しかし、こねるという作業は道具も使わず、己の力で材料を変化させていくという作業です。
これが面白い。
こねていくことで、材料の中でたくさんの化学変化が起こります。
初めは粉だった生地に徐々に粘りが出てきて、パン生地らしくなってくるのです。
この変化を手を通じて肌で感じながら、多少寒くても汗ばんでくるぐらい自分の体も温まっていることを感じます。私の体も変化していくのです。
ちょっとしたスポーツをやっている気分になります。
そして、だんだんと生地と私が一体になっていく感覚。陶芸をやっている感覚に近い気がします。
そして②生地が成長する
個人的にこれが一番の癒されポイントです。食材が生きているんだと実感できます。
こねた生地をいったん休ませて、発酵させるのですが、この発酵させることで生地が大きく膨らみます。ホントに大きくなるんですよ!
料理って基本的に肉類も野菜も、切り分けたり火を通したりして細かくしていく作業が多いです。
パン作りはその逆。食材を成長させます。
あぁ菌が働いているんだなぁと愛おしくなってきます。気分はナウシカです。
独特な酵母の匂いもしてきます。
やっぱり③美味しいのは大事。
分量さえ守れば、そんなに難しいことをしなくても美味しいパンは作ることができます。
材料を混ぜてこねて焼くだけなので。
パンの美味しさのポイントは、材料や作り方よりも焼き立てを食べること!
自分で作れば、焼きたてのパンを味わうことができますよ。
というわけで、パン作りの魅力を簡単に語ってみました。
陶芸のようなスポーツのような料理のような、たくさんの魅力が詰まっています!
これを読んだ人が、パン作りを始めてくれたら嬉しいです。
福岡良いとこ一度はおいで
今週のお題「地元自慢」
私の地元は福岡市です。
で、自慢すること・・・と考えてもなかなか出てこない!
住みやすくはある。いろいろコンパクトにまとまって、気軽に海とか山とか街に行けます。
料理は美味しい?う〜ん、私はとんこつラーメンの匂いが苦手なので、ラーメンはあまりおすすめできないです。
魚は美味しいですよ。やっぱり海が近いので。おすすめは中央区長浜にある魚市場。
安くて美味しい魚料理が食べられます。
後は、うどんかな。近年、ようやく福岡のうどんがフィーチャーされてきて嬉しい限り。
やっぱり「牧のうどん」が好きです。県外から知り合いが来た時は、必ず連れて行ってます。味だけでなくて、注文とか食べ方も独特なので楽しいです。かしわご飯が美味しい。
九州の醤油は甘いので。所違えば醤油も違う。慣れるとあの甘さが美味しく感じます。
福岡市で観光する場所ってあるかなぁ?
交通の便はいいから、福岡市から各地に行くのは便利かもしれない。でも、観るところって言うと、う〜んと困ってしまいます。
その辺は太宰府市の方がいいかな。
イベントだと博多祇園山笠は面白い。勇壮で迫力があります。
でもあれは博多のお祭りであって、福岡のお祭りではないような。
この辺の、博多と福岡の微妙な関係は面白いです。
私も「福岡の出身です」とは言えるけど、「博多の出身です」とは言えません。
博多の文化は独特だと思う。
博多駅・博多人形・博多織・博多どんたく・博多ラーメン・博多祇園山笠・博多華丸大吉・博多湾・・・
福岡県・福岡市・福岡空港・福岡インターチェンジ・・・
伝統的なものは博多、最近のものは福岡な印象です。
元々は、博多という地域があって、そこに黒田孝高が云々という話があり、すったもんだがあって今の形になっています。
要は福岡の人というのは余所者であって、博多の人たちからすると面白くないのです。
落下傘でやってきた黒田孝高が、お上に収まっちゃったわけですから。
今はそんな対抗意識も薄れているでしょうが。
結局は、この博多と福岡の齟齬・摩擦というのが、福岡を発展させつつ、一方で博多らしさを保存することになったように思います。
改めて読み返すと、やっぱり私は福岡が好きなんですね。
いい所ですよ。
一度機会があれば来てみてください。
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